ホステルでよく顔を合わせているハンガリー人の男性に、昨夜言われたことが少しだけ気になっている。
"君の旅は はやい。アジア人もみんな はやい。写真をパシャパシャ撮って移動して。もっとリラックスすべきだ。"
確かに彼の言い分はとても良くわかるし、私自身もそう思う。
ただそれはお金と時間があってのことだと思うのだ。
そんなふうに私はよく、自分の旅の仕方について"なぜ?"と聞かれることが多い。行き先についても文句のようなことを言われることもあった。
そんなに不思議な旅の仕方をしているつもりはないのだけれども。
"アジアに住んでいる人にとって南米はとても遠いし、航空券もとても高い。なおかつ、ヨーロッパの人のように長いお休みを取るのはとても難しい。
だから、できるだけ色々なところを見たいのだ"
とだけ彼に伝えた。
南米までかかるチケット代と時間を伝えると彼はとても驚いていたけれど、それでも納得いってないように顔を横に振った。
:
彼は知らないのだ。
私が旅先で過ごした時間や私の見た光景たちを。
イタリア・プローチダ島の日曜日の午後、バスの中から見えた幸せな光景を。スウェーデン・ルーレオの白く淡い美しい朝の光を。ベトナム・ハノイの雨が降り始めた時の音や匂い、街が雨に支配される瞬間を。
彼は知らないのだ。
もちろん私だって彼の過ごした時間は知らない。
でもそれでよいのだ。
旅の仕方は人それぞれ。自分の好きな風にしたいし、心地よく旅をしたい。
だから私は好きな服を着て、好きなものを持って来た。
旅をしているからといって、特別なことも望んでいない。
:
今日は初日に出会った、商店を営んでいる中国人姉妹と仲良くなって、ずっとおしゃべりをして、しまいには夕食をごちそうしてくれた。
そういう日があったって、旅があったって別にいいと思う。